桜が咲き誇り、こいのぼりが泳ぎ、今年度の方向性が決まり、街を行く人々の足取りも軽い。雪に閉ざされていた数か月前とはまるで違う。この新聞が手許に届いてしばらくするとポプラの綿毛が舞い始める。いよいよ受験勉強が本格化し始める。


少し前までは余裕だと気を抜いていた人たちも、真剣に勉強に取り組んでいる。少なくても焦り始めてはいる(はず)。そりゃあそうだ。進学する先がかかっているのだから。


「俺、もっと早くから、もっと本気で勉強してれば、進学先とか人生とか変わってましたかね?」受験シーズンも大詰めを迎えた、12月の末のことだったと思う。ある受験生に尋ねられた。もちろん、本人も答え
は分かっていて、そんなもん変わったに決まっているわけだけど、ついつい聞かずにはいられなかったのだろう。


彼の質問は、もう一つ。「今やってることで正しいっすよね?」勉強を一生懸命始めると、行き詰って、もっといい方法(楽な方法、効果的な方法、秘密の方法など表現はいろいろ変わるにせよ)があるのではないかと、今以外の方法にすがりたくなることがあるものだ。(あいつの使ってる単語帳の方がいいのではないか?こっちの参考書の方が、あっちのやり方の方が・・・)という、多くの受験生に聞こえてくる心のささやきだ。実はこちらの質問も、彼は答えを知っていた。でも、誰かに確かめずにはいられない気持ちだったのだろう。もちろん、おそらく彼が考えているだろう答えと同じ答えを、私も言った。


「正しいよ。今、君がやっていることは正しい。だから、今やってることに全力で取り組むことだ。今開いているページに、全力投球することが最も効率的なんだよ。」


今開いているページにとりくむこと、今読んでいる行を一生懸命読むこと、今聞いている説明を必死で理解すること。それが最善で最強。


くじら